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備忘録。

自分の思った事を連ねていきます。不定期更新。

2017年のご挨拶

新年となりました。おめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

 

皆さんにとってより良き年になる事を願っております。

 

自分はと言うと、去年の12月21日に自分が計画していた事がひっくり返るような出来事が起こってしまい、人生の方向性をかなり転換しなくてはならなくなりました。

それが何かはまた直接逢った方々には詳しく述べる事があるかもしれないのですが、ともかく、そこに向かって頑張って行くしかないので、頑張って行く次第です。

 

言葉と文章の関係と言うのは不思議な物です。

去年の年末から心がけている事として、直接話すべき事(特に伝わりにくい事)は直接話そうと心がける事にしました。それから、相手に気分良く過ごしてもらえる様にしよう、とも。。。

少し話がずれましたが、その方向性は間違っていないと思いますし、今後もそうして行きたいと思っています。

 

それから、悪いニュースとしては今年は2月に手術も待っていて、中々な新年のスタートです。

が、新年明けてからは基本的に良い事ばかりなので、自分で良い運や福を引き寄せられるように頑張って行きたいと思っています。

 

自分に対して挑戦をする事

自分のやると決めた事に対して妥協をしない事

自分自身のこれからやる事に期待をする事

それから自分のやる事を全力で楽しむ事…

 

そういった事を念頭に置きながら2017年を過ごして行きたいと思います。

上手く行けば2月にも1~2週間程度ではありますが、自転車旅が1つ出来ると思います。

それでは、2017年も宜しくお願いします。

<北海道冬季自転車旅 苫小牧~宗谷岬>

自転車旅 北海道
  • プロローグ

京都から福井まではサンダーバードに乗り、敦賀市内へ辿り着いた。

これから始まる旅に向けてなんだか興奮が抑えきれなかった。

…と同時に上手く行くのだろうかと言う不安も横切った。

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敦賀駅の前で自転車を組み立てた>

 

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<ぱんぱか愛宕さま>

フェリーに乗り込むと、恐ろしい位、外海が荒れていて、船の風呂場の水は揺れているし、あちらこちらでげーげーと吐く音が聴こえていた。
とんでもないなあ、、と思いながら、ほぼ何も食べれずに苫小牧の港についた。

それが大学最後の自転車旅の始まりだった。

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<フェリーに乗り込むの図。俺だけ自転車なので何か笑える>

  • 大学最後の自転車旅

大学最後の自転車旅に出ようと思ったのは色々なきっかけがあった。

大学3年の時に1年休学をし、イギリス留学をした。

帰って来て大学4年の時にアラスカにある北米大陸最高峰、デナリ(マッキンリー)への登山を計画していた。標高6194m。自分が憧れる植村直己さんが今も眠っている山…

 

それまでに山に登って来たのも、全てその山に登る為だった。

 

結果的にこの山への計画はアラスカに行って現地で頓挫したのだった。

アラスカの事を書く事があればまた書きたいと思うのだけれど、それで自分の大学4年間の夢は潰えた。

しばらくは無為な時間を過ごした。

就職活動もする気にあまりならず、適当な所に会社が決まった。

5年かけてお金を貯めて、必ず目標を達成してやろうと思った。

結果的にこれは色々な事があってまた別の人生を歩む事になったのだが。

 

暇を持て余していた時、安物のクロスバイクを一台買った。

それが自転車旅の始まりだった。

 

始めは京都市内を、そして琵琶湖を一周した。

友人とバカ言いながら琵琶湖を一周するのは楽しかった。

青春を謳歌している感じがした。だけれど、挑戦と言うには程遠かった。

琵琶湖を走り終えて、友人に内緒で北海道の計画を立てた。

それが北海道へ行く全ての始まりだった。

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<降りる前に。いよいよ北海道…!>

  • 苫小牧から札幌へ

苫小牧港に着くと、船の係のおっちゃんが「気をつけてな」と声を掛けてくれた。

いよいよ始まった。冬の北海道の自転車旅。

 

ザックに荷物を詰め込んでまずは苫小牧の街を目指した。真っ暗で街灯が無い中を走って行く。

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<苫小牧港〜苫小牧へ>

苫小牧に着いて、確かに雪はあったが、この段階でアスファルトが見えまくっていた。これなら大丈夫だろう。苫小牧の街へは1時間半程で着いた。途中ハンガーノックになりかけた…

明日からいよいよ北へ。

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苫小牧駅前>

  • 北への道

苫小牧を出る日には沢山の人に声を掛けてもらった。「頑張れよ」と応援して貰えた事が凄く嬉しかった。

 

苫小牧からはまず千歳を目指した。札幌を目指すと遠回りになるから、稚内の帰りに寄る事にしたのだ。千歳にはあっという間についた。

f:id:shohei6194:20161218192137j:plain<飛行機マーク!>

千歳からは地図を見ていると、岩見沢と言う所が近いらしい。よし、今日泊まるのはここにしよう…と言う事で漕ぎ進めて行く。

 

途中、自転車を押していると「どこへ行くんだ」とおじさんが言う。

稚内までなんですが…」と言うと驚いた顔をして「そりゃ凄い!入れ入れ!ちょっと休んでけ!」と言われた。

 

家の中に入ると日ハムのグッズが所狭しと並べられていた。ロッテファンな俺には中々なアウェー感だった(笑)
これも北海道ならではだ。しばし日ハム談義で盛り上がり、カレーやお菓子を頂いた。

「すいません色々と」と言うと、良いんだよ、それよりももっとほら、持って行け!と色んな食料を貰った。全体的に、北海道では殆ど昼間に行動食らしいものを食べなかった。だから、この時の食事は嬉しかった。

 

暫くして家を後にする。

先を急がなくてはならない。

実はこの旅、卒業論文を仕上げてから出て来たのだが、卒論を提出する日までには京都に帰らなくてはならんと言うとんでも強行日程だった。我ながらアホである。

なので、その日までには全てを終えなくてはならない。

 

岩見沢に着く頃にはかなり真っ暗になっていたが、適当な寝床を発見したのでそのまま就寝。

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岩見沢への道。真っ暗で見えない>

しかしこの日1日だけでチャリとカバンがえらく泥だらけになってしまったのであった。

 

翌日からは一路旭川を目指した。

奈井江町辺りを通過すると、本当に直線の道路が延々と続く様になっている。

本線を逸れて脇道に入ると、真っすぐ並行しているのはいいのだが、除雪されておらず、雪で埋まってたりする。
本線を延々と走って行く事にした。

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さだまさし北の国からが聴こえてきそうだ>

段々と走って行くと、この直線道路が日本一長い直線道路である事を示す看板があった。

なるほど、だからこんなに直線だったのか…

この日は砂川について、その後、旭川を目指した。

しかし、旭川以北では天気予報だとえらく天気が荒れているらしい…本当に大丈夫だろうか。

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奈井江町。この辺りから歩道が埋まる>

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<精神やられました・・・>

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<砂川駅。道路は凍っていた>

漕ぎ続けると、あっという間に旭川についた。

 

  • 旭川で一時停滞

旭川で一時停滞してこれからのルートを考えた。

一つは幌加内町を通るルートだった。もう一つは音威子府村まで大きな幹線道路を通って行くルート。

どちらにしても雪はここからはかなり多いらしいので、覚悟は決めなきゃならなかった。

 

もう一つ。

士別名寄…と一般幹線道路を踏んで行くルート。これなら少し難易度は下がる。

 

次の日は、吹雪であった。
それでも決めた以上、北へ向かわねばならない。

 

現在のペースが大体1日50~100km程度。
アスファルトだと速度は出るが、雪道は速度が出ないと計算をした上で、音威子府を目指す事とした。

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旭川市街。出発前夜…雪です>

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 <名寄を目指す。稚内は敢えて見ない>

旭川から北へ行くと塩狩峠と言う峠に差し掛かった。

 

塩狩峠三浦綾子の小説『塩狩峠』で有名となったが、その題材は1909年の事件。

旅客列車の連結器が離れ、暴走する客車の前に車掌が立ちふさがり、身を捧げて乗客を救ったと言う事故がモデルとなっている。

 

塩狩峠の標高は263m。

昔は石狩国天塩国の境でもあった。

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<幹線道路はこの通り。真っ白だ>

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塩狩峠の最高点を越えた辺り>

この峠を越えれば和寒(わっさむ)町である。 


塩狩峠を越えて和寒へ。

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<北海道の中でも寒い地帯に入って来た>
 

和寒という名前の通り、本当に寒い街だそうで、冬の冷え込みが厳しい事で知られる。

そして、ここ、和寒は日本有数の寒さを持つ街として知られ、冬場は-30℃近くになる事で知られるそうだ。

和寒の名前は、アイヌ語のアッサム・ワットサムから来ていて、意味はオヒョウニレの樹。

この樹が沢山はえていた事に由来するそうである。

 

和寒に入ると峠の下りに入る。しかし冬の峠の下りはもの凄く寒い。刺すような痛みが襲って来た。

 

今日は剣淵まで行こう、と思い、自転車を漕ぎ続ける。

道の駅絵本の町剣淵を目指した。

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<本日の宿泊地とする!>

剣淵町に入るともう真っ暗になっていた。道の駅の裏側にテントを張ると、「良かったらこれ食べなよ」と鶏の燻製、スープなどなどを頂いた。

本当に嬉しい。

毎日こんな感じで、走っていると何らかを貰った。

北海道に持って来た食料はほぼほぼ使わなくて済んだ。

 

寒いけれど人は暖かい。
本当に素敵な場所だと思いながら、この日は眠りについた。

 

次の日、一路名寄へ。

名寄の知人の所に寄る予定があった為、その旨を知人に連絡しておく。

この日は吹雪が凄く目の前が見えない。

剣淵~名寄の数十キロだけだったのだが、雪が身体にへばりつく。

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 <いよいよ名寄市へ>

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<自転車バラしてタイヤのパンクを治す。手がかじかむ>

士別辺りで目の前が本当に見えなくなった。ゴーグルを顔に付けて先を急ぐ。

名寄についた時には本格的に雪が降っていた。

士別で「稚内まで行くのか!?」とバイクの人に話しかけられた。「そうだよ」と言うと、「向こうで逢おうね!」と声を掛けられた。嬉しかった。

 

名寄ではゆっくりとした時間を過ごした。

知人にホテルまで取ってもらった。

全てを乾かす。食える物をしこたま食べた。ここまでまともに食事も出来ていなかったし、昼間はカロリーメイトを齧りながら走っていたからだ。

 

車に乗せてもらい、これから行く道を下見。

音威子府方面に向かうと、いきなり登り坂が続いていた。

下見をした後で、様々な事をお茶を飲みながら話し合って別れた。

 

ホテルのガレージで自転車の整備をした。

自転車とスパイクタイヤがどうにも噛み合わず、パンクが連発していた。

スパイクは何とかならないのだろうか?と思ったが、とりあえず走り続けるしかない。

 

荷物を積み込んで、明日朝9時に出発する事にした。目指すは音威子府

50km漕げば音威子府に着く。

 

音威子府村は北海道で一番小さい村とされる。

-30℃近くになる事が結構あり、道内でも有数の豪雪地帯とされる場所だ。

 

そこを越えれば稚内までは2~3日で辿り着く事が出来る。

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 <こんな感じの道が段々と増えて来る>

 



名寄を越えると極端に交通量が減った。

美深と言う町までは順調に進んだが、美深を過ぎたあたりからはパンクが多発、どうにもならない。

f:id:shohei6194:20161218234242j:plain<横のでっかい溝は除雪車の跡。後ろから迫って来るのは怖すぎた…>

どうにかならんか…と思って考え出したのが、後ろのスパイクタイヤを外そうと言う事だった。

 

3kmほど外して走ってみたら、意外と走れて、それ以降パンクしなくなった。
接触が悪かったのか?

 

音威子府についたのは12月31日。
この年も終わった。

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音威子府村到着>

来年はどんな年になるだろうか。
そう思いながら眠りについた。

 

  • 新年

天塩川温泉の近くに宿泊し、翌日は行ける所まで行く事に。

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音威子府の駅。駅に居たおっちゃんと話をする>

 

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天塩川温泉駅に到着する宗谷本線の普通列車>

中川を目指す事にしたが、昨日のタイヤ作戦の成果もあり、音威子府~中川までを何と2時間で攻略する。

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<強烈な下り坂がこの先にあった>

 

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<いよいよ100kmを切ったぞ!>

中川の駅でコーヒーを沸かして飲んでいると、バイクの人が来て、「自転車で稚内!?」と言われた。

「もう少しなので頑張ります」と言うと、「コレでも持ってけ!」と暖かいコーヒーを貰った。

何だかとても嬉しかったが、これまでガソリンスタンド、道の駅、そして道行く人々から沢山の物を貰った事を思い出した。
本当に嬉しい。

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バイクで来ていた方々>

 

中川から先は長い道が続いていた。防風林が道の横にあり、風が吹き付ける。

向かい風に立ち向かわねば先には進めないのだけれど、時速5kmも出ていない箇所もあったかもしれない。それでも先に進まねばならなかった。

 

幌延の近くで夜になった。風力発電の風車がもの凄い音で回っていて少し怖い。

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<北に来た>

豊富駅の近くについて、テントを裏手に張った。

明日はいよいよ稚内だ。もう少しだ。

 

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<豊富駅前にて>

朝、テントの中で雑炊を作っていると、宗谷本線の音で目が覚めた。
テントを畳み、いよいよ稚内へ向かった。

この日の気温はマイナス10度を下回っていた。

自転車にのり、稚内までの道を漕ぎ倒す。稚内までの距離標識がどんどんと短くなって行く。

その事が嬉しくてたまらなかった。

 

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<北海道はこんな道が旭川以北は続いた>

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<安全運転了解しました!>

そうして稚内へついた。

稚内につくと、目に付いたのはロシア語の表記だ。

まるで異国にきたようだった。

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<ロシア語表記がある>
 

日本最北端の駅にもついた。帰りはここから札幌に一気にワープする事になるが、明日はいよいよ宗谷岬だと思うと、本当に嬉しかった。

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 <稚内駅。北の最果ての駅である>

  • 日本最北端の岬へ

いよいよ北へ向かうのも最後の日となった。

稚内で目を覚まし、身支度を整える。

 

北の端っこにある宗谷岬を目指して自転車を漕ぐ。もう後はこのアスファルトの道を延々と漕いで行けば、きっと1時間半もすれば宗谷岬に着くだろう。

 

宗谷岬に向かって漕ぐが、漕いでも漕いでも地形的に偽の岬みたいな物がどんどんと現れ、あそこかな?あそこか!?と思う度に裏切られた。

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 <最後の日は青空>

宗谷岬が見えて来て、そこで写真を撮った。

 

ここから先は北に行く事が俺には出来ない。だけれどいつかは…と思いを巡らせた。

 

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<日本最北端の碑の前で>

宗谷岬から稚内へ行き、そして札幌へ向かう。

どんどんと今まで訪れた地名が現れた。

稚内、豊富、幌延、中川、音威子府美深名寄士別和寒、旭川、深川、砂川…
町であった色々な人達の事を思い出した。

そうこうしていると札幌についた。

高校生の時に電車で旅した終着点が札幌だった。

その時よりも北に行く事が出来た事を嬉しく思った。

 

札幌に到着し、ネットカフェを探した。
自転車を埋もれた自転車置き場に止める。

盗る奴もいないだろう。
札幌から小樽港までは自転車で行って見る事にした。

もう旅も終わりだ。本当に自分を成長させてくれた素敵な旅だった。そして今日はテント泊じゃない、ゆっくり休もう。

 

  • そして京都へ

札幌から小樽までは笑える程雪が降り、自転車を無理矢理押して行くハメになった。

小樽築港の近くに自転車を止めて小樽市街地へ入り、小樽でオルゴールを買った。

吹雪の小樽を観光し、お好み焼きを食べながら、旅の話をすると「これ、船の中で飲みなさい」とお茶を貰った。本当に嬉しい事だった。

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小樽市へ>

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小樽市街地…酷い吹雪>

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<有名観光地もこの通り(笑)>

船は小樽から舞鶴へ向かった。

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<さようなら北海道>


舞鶴について舞鶴港でテントを張った。雪が降っていなかったので大した事はねーだろと思っていて翌朝起きたらうっすら雪化粧…舞鶴でも雪かよ!と悪態をついたのを思い出す。

 

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舞鶴港にて。朝テント内から写真を撮った図>

赤れんがパークの横を走って綾部を抜け、綾部でパンクをし、チャリ屋に寄ったらお茶を貰ったりした。凄く嬉しかった。

 

綾部から先は亀岡の峠を越えて、そのまま京都市内へ。

川端五条の所でギアがいかれて、そのまま天下一品本店の前へ帰った。

 

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舞鶴から綾部へ>

そこから実家までは徒歩45秒。泥の様に眠った。

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<帰宅!!!>

北海道の挑戦が今となっては懐かしい物になっているのだけれど、冬の自転車のきっかけをくれたのは間違いなくあの旅だった。

北海道の人達の優しさ、そして食べ物がおいしい事、自然の大きさを実感する旅だった。

 

次回行く時にはまた別の所に行きたい、、と思っている。

あの時お世話になった方々、本当にありがとうございました。

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<知人が車から俺を撮ってくれた写真。個人的にお気に入りです。> 

 

<終>

 

 

  • 自転車のデータとかその他もろもろ

自転車はコルトマデラと言う自転車を用いた。

この時は今見たく自転車の知識も無いに乏しかったので、初めて買ったクロスバイクで出発し、キャリアも一番安い物を使った。但し、オルトリーブだけはしっかりと買い揃えた。

現在自転車はGreat Journeyに買い替えたが、正直こちらの方が色々ツーリングには向いていると思う。

 

テント等は冬山で使っていた物を用いた。燃料はガスカートリッジだったが、今なら間違いなくホワイトガソリンか、ガソリンを使えるストーブを用いると思う。

 

スパイクタイヤと呼ばれる冬のタイヤも用いたが、音威子府以北ではほぼ使わない事になった。前輪だけスパイクを付けて走行していた。

 

北海道は確かに広いが、今回通ったルートはは50km毎にコンビニ(主にセイコーマート)があるので、食料補給にはそこまで問題点は無かったかなと思うし、夏場であれば道の駅なども利用出来るから大変に良いし難易度的にはそんなに難易度がある訳では無い。

北に向かって走れば向かい風は強いが、逆だと追い風にもなるし…夏なら素敵なツーリングが楽しめるだろう。

 

で、冬の自転車で走っていて感じた事等は多々あるのだが、個人的に北海道を旅していて思った事など。

 

  • 吹雪

北海道の吹雪はかなり強烈だった。

目が開けられないし、稚内近辺の吹雪はこたえた。

旭川で猛烈な天気の悪さになってからは、毎日どこかで吹雪があったし、その中を自転車で走っていた。

ちなみに、吹雪になると全ての装備がぱりぱりになる。

防水加工された装備が必須。

 

  • 道路状況

旭川以南は除雪が入っていて雪は無かった。

旭川以北は基本的にアイスバーン

 

  • 防風林

風が強い区間は防風林が多々あったのだが、その防風林の合間から風が吹き付ける感じ。

 

  • 向かい風

名寄稚内の間でかなりの向かい風を経験した。

稚内手前での向かい風は雪混じりの向かい風だったので、時間帯によってはほぼ押している事もあった。

ただ、時間帯によっては完全に無風になったりもしていたので、この辺は天気にもよるのだと思う。

 

  • 補給地点

我らの味方セイコーマートが多々ある(笑)

ただ、場所によっては50km毎とかにショップあり。

雪を溶かすのはいいのだが、北海道は一応エキノコックスに汚染されている地域なので、そこは考えた方が良いかもしれない。

町は基本的に幹線道路から離れた位置にあるそうだ。

 

  • 道の駅と宿泊施設について

道の駅には大変にお世話になった。

基本的に冬の北海道で旭川以北の道の駅はあまり人が来なかった。補給地点として使うにしても、自販機があるだけだったりするので、補給地点としては心もとないのだけれど、宿泊地として使ったりもしていた。

 

普通のホテルは大体大きな街であればあるが、割と割高だった。

苫小牧~旭川間であれば、最悪電車ワープを使えば大きい街でホテルを見つける事も出来るんだろうし、ネカフェがある所にはある。

ただ、ホテルが全くない場所とかもあるんで、その辺りは考えて行動した方が良いかもしれない。そして、街からかなり離れた所でないとホテルが無かったりするケースなども存在する。(大体駅前まで迎えはあるらしいが。)

 

  • ワープについて

札幌~旭川は容易にワープ出来ると思う。理由は在来線が多いため。帰りは特急を用いた。

旭川以北は宗谷本線が走っているが、時刻表が1日3本とか割と洒落になってないので…あまり電車を当てにしない方が良いかもしれない。

 

稚内から札幌に戻る手段は飛行機と電車の両方があるが、電車のがベターだと思う。

電車で完全に輪行袋輪行してしまえば、特に問題は無いし、特急列車を使えばあっという間に札幌まで行く事が出来る。また札幌近辺にはホテルも多々あるので問題は無いだろうと思う。

 

<終>

ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記

ボスニア・ヘルツェゴビナはいつか訪れてみたい国の一つだった。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史は「ややこしい」の一言に尽きる。

ボスニア・ヘルツェゴビナはその前はユーゴスラビアと言う一つの国であった。

が、そのユーゴスラビアが分裂し、ボスニアとなった歴史がある。

 

当時のユーゴスラビアは「7つの隣国・6つの共和国・5つの民族・4つの言語・3つの宗教・2つの文字により更生される1つの国」と評される国だった。つまりそれだけ火種の要素を抱えていたのだった。

 

ブラジルに最多得点で勝った強豪、ユーゴスラビアのサッカー監督であるイビチャ=オシムは辞任会見の祭に、ユーゴスラビアの監督を辞任する事にしました。理由は皆さん、ご存知の通りだ」と言う言葉を残している。この言葉は民族主義の対立を嫌っていたオシムの言葉で、ユーゴが故郷であるサラエボを襲うと言う理不尽さも含まれている言葉だとも言える。

 

その辺の経緯に関しては、かなり分かりやすくまとめてくれていたサイトがあったのでそちらに丸投げする事にする。

http://gotanda.cocolog-nifty.com/so_what/2007/11/post_6490.html

 

1992年から続いた戦争はヨーロッパでも最悪の紛争と言われた。

事態が泥沼化して、血で血を洗う紛争になった事でも知られる。

また、第一次世界大戦のきっかけが起こったのもここボスニアだった。

そういった意味では歴史の転機になるような出来事に数多く巻き込まれて来た国とも言える。

 

と言う訳で、そんな歴史が数多くある、旧ユーゴ諸国を巡り、ボスニア・ヘルツェゴビナに行って来た。

 

実はこの前にコソボと言う国に行っていた。コソボセルビア間は国境を越えるのは出来れば自粛するべきだと言う外務省からの勧告が出ていた。

よってマケドニア経由で(これはこれで出会いが逢って良かったのだが、また別に記述する)セルビアに行き、ボスニア・ヘルツェゴビナに入る事にした。

 

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<さらばセルビア。ようこそ、ボスニア・ヘルツェゴビナへ>

 

パスポートを渡すと、「そこのチーノ(中国人及びアジア人に対する蔑称)、パスポート」と言われてパスポートを返された。少しイラついた。ボスニアがこんな国じゃないといいなあ、と思いながらボスニアに入る。
隣の人とは色々と話がはずんだので良かったのだが。

 

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<前は見えない。真っ白な霧の中、バスは猛スピードでぶっ飛ばして行く。本当に見えているのかすら分からん>

 

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ボスニアに入ってからこういったショップを見かける事が増えた。山間部ではトラウトが有名なのだろうか>

 

夜にサラエボ市街地についた。ありがとうと言ってホテルを探し歩く。

安宿を見つけたのでそこに宿泊する事にした。ユーロ払いをする。1泊8ユーロ。中々のボロ宿だったが、シャワーがついているだけでも御の字だな、と思った。

サラエボ市街地は道路を挟んでキリスト教イスラム教との建築物の違いが見て取れて面白かった。

道行く人に、あの跡は何なのですか、と聴くと、全て92~95年の銃弾の跡だ、と言われる。

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路面電車

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<旧市街。こういった所を歩くのは楽しい>

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<霧の中に浮かび上がるモスク。中々の異国情緒である。>

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<戦争で打ち込まれた銃痕との事>

電車に乗る前にどうしても行っておきたかった場所があったのでそこに行く事にした。

この橋である。

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<一見すると普通の橋にしか見えないのだが…>

 

1914年6月28日。

オーストリアのフランツ大公が、ここで殺害された。

サラエボ事件である。そして、それをきっかけに第一次世界大戦が始まった。
こんな橋から教科書で習った戦争が始まるとは、俺にはどうにも信じ難い事だった。

 

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<市街地を少し歩いて行く>

少し街を離れて歩いて行くと、黄色い建物が見える区画に行き当たった。

ホリデイ・イン・ホテルだ。

世界でも有名なホテルの一つだが、ここサラエボのホリデイ・インはボスニア内戦の際に片方がぶっ壊れたまま営業していた事で知られている。

更に、このホリデイ・インの前の道路はスナイパーストリートと呼ばれた。

サラエボは山に囲まれた地形である事から、どこからでもこのホリデイ・インが狙えたそうだ。そして、そのストリートも。ストリートを通過する時は立ち止まると即射殺されたらしい。そういう場所だったそうである。

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サラエボ・ホリデイ・イン>

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<スナイパーストリート。戦争中はここで立ち止まるだけで容赦なく射殺されたのだそうだ>

サラエボでは冬季オリンピックが行われた事でも知られている。

だが、そのオリンピックスタジアムが戦争で無情にも墓地に変わった事はあまり知られていない。

あまりの犠牲者の数に墓場が無くなり、スタジアムを掘り返して墓地にしたのだ。

 

街中にあった犠牲者の碑は何だか無情さを示していた。1992-1992と言う生年月日と没年があったりした。6歳以下で亡くなった子供も多かったそうである。

 

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<銃痕>

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<0歳で亡くなった子供が居た。親になった今ではその事実が凄く重い物としてのしかかって来る。92〜95年に内戦は行われていた。>

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サラエボオリンピックスタジアム跡地>

 

サラエボを去り、モスタルへと行く事にした。先を急ぐ旅行ではなかったが、サラエボは1日滞在しただけでいいか、となった。

モスタルはエキゾチックな雰囲気を持つ、ボスニアの小さな街だ。

そして、イスラムカトリック教徒が共に暮らしていた。

 

だが、そのモスタルの旧市街や橋は戦争で破壊された。

今では平和の橋として再建されていて、橋の袂には"Don't forget '93"の文字も刻まれていた。

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モスタルの旧市街。大変に素敵な場所の一つなのだが・・・>

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<遠くに見えるあの橋も、戦争の時には陥落した>

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<ぼろぼろに破壊された建物。戦争によるものだそうだ。街のあちらこちらにこういった建築を見る事が出来る。新しいお墓も…>


悲しい想い出が詰まった場所を沢山見る旅だった。

だが、それ以上に沢山の笑顔にも出逢えた。これから前を向いて生きて行こうとしている人達の笑顔にも出逢えた。

そういった意味では凄く行って良かった国、そして旅だったと今でも考えている。

 

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<置物ではない。仲良しわんこ2匹組>

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モスタルで食べたご飯。またじゃがいもか・・・!>

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<さらばボスニア。一路クロアチアへ>

 

東欧全体に言える事ではあるのだが、治安がかなり悪い。
置き引き・スリ等に注意が必要である事。

それから、言葉がかなり多いので、その辺りも通じない事が多々ある。

今回行ったボスニア公用語ボスニア語・クロアチア語セルビア語。

英語が通じれば何とかなるのは都市のみで、田舎は通じない印象を受けた。

セルビア語に至ってはそもそも文字が読めない系統の言葉^^;

 

ボスニア・ヘルツェゴビナに入るには日本からだと第三国を経由、サラエボに入るルート。

セルビアの首都ベオグラードからバスにて入るルート。

クロアチアのドゥブロクニク経由でバスで入るルートなどがある。

鉄道は割と当てにならない。

 

通貨は兌換マルク/首都はサラエボである。
ただ、ユーロが通じる所も多い。カード払いは物価の安さもあったのでした記憶が無い。

日本に於いてボスニア出身の最も有名な人物はイビチャ=オシムさん。

ちなみに東欧のサッカースタジアムは割とな確率で暴動が起こるそうで(政治的意図も絡んで)あまり宜しく無いとの事。

10年間の友人関係

人間関係と言うか、知人・友人関係の事で色々と最近話し合う事があった。

で、出た意見がこれだったので、少しそれについて。

suzie-news.jp

実際にこういう意見もあるし…

 

3年以上続く人間関係はまれです | ワーク・ライフ・アンバランス

こういう意見もある。


・最近のネットでの人間関係について思う事


で、その前にちょっと思う事などを色々と。

昔のHPと比べて変わった事と言えば、連絡の取りやすさなのかもしれない。

それでも、Twitterであれ、その他のSNSであれ顔をほぼ知らない人もいる。

例えばFacebookにしてもそうだけれど、一度逢ってから多分一生逢わないまま終わる人もいるだろう。

Twitterにしてもそうだけれど、同じ共通点と言うだけで繋がっていて、逢う人はとことんまで逢うのだろうけれど、逢わない人は逢わないだろうし、更に言えば”合わない”となればもう逢うと言う事は無いのかもしれないな、とふと思った。

今のネットの人間関係ってのは結構一つのツールだけで成り立ってない。

更に言えばそれを切ってしまえば逢うのって難しいんだと思う。


・脆さみたいなもの

別に今のSNSとかツールを全て批判している訳では無いのだけれど、脆いよなあ、と思う。

例えば入っているSNSが一つだったとする。共通点はそこしかない。そのSNSを切ったらそこで関係は無くなる…

と言う意味では脆いなあと思う。

そこでしか逢えない人間関係みたいな物は確かに昔のHPにもあったにはあったのだけれど、ただ今とは違ったよな、と。時間決めてチャットしたり、そういうのがあったなあ、、と思ったり懐かしい事も思い出した。

SNSはやはり脆いと思う。サービスが終わってしまえばそれまでだから。

 

  • 10年って長い

10年って多分過ぎ去ってしまえば短いのだろうけれど、時間としてはかなり長い。

分かりやすく言えば…生まれた子供が10歳になる。オリンピックが2回来る。

3・3・4で順調に続けて行けば、中学、高校、大学と人間関係が変わる年数。。。

そりゃ離れる人もいるし近づく人もいるだろうし、関係が切れる人も居ればまた新しく関係すら生まれるかもしれない。結婚するかもしれないし、それで人間関係も変わるかもしれない。

だから、10年経てばそりゃ人間関係って変わっていくだろうなあ、って思うし、その期間付き合って行ける人なら恐らく相当な確率で縁は続いて行くんじゃないだろうか、と思う。

 

・それでも続く人は続くだろうし…

楽観的に考えれば、続く人は続くんだろうなあ、と思う。

逆もまた然りなのだと思う。

 

で、まあそういう話を友人と延々としていた時に、「10年付き合えれば凄い事」と言う話をした。

10年、過去を振り返ってみればそうだなあと思った。

中学時代から大学時代で人間関係が変わっていったように。

 

多分この時間はまだまだ続くのだろうな、と思った時間が続かなかった事も事実ある。それは時間の流れだから仕方が無い事だとは思う、高校の時の話だが。

前述したSNSみたいな物で繋がっていた人が、飽きを理由に去って行ったパターンもある。

Twitterを長く触っていなかった間に去って行った人もいるし、共通の物で繋がっていたけれど、その対象に飽きたからと言う理由でそこから離れて行った人も事実居る事は居る。

ただ、最終的にはそういう色んな人との繋がりの中で、この人って言う人が見つけられたらそれは凄い事だろうし、人間関係って突き詰めて行けばそう言う物なのだろうなと思う。

そう言う意味で言えば旅の出会いには似ているよなとは思うのだが。

 

高校の時にお世話になった人が言っていた。

「本当に逢う人はどっかで逢うし、その時に「久しぶり、元気だったか」って言ってお酒でも飲みに行けば良いんだよ」と。

 

実際にそれはそういう風に思うし、そういう人生を送って行きたいとは思う。

そしてそういう人を大切にしていきたい、とも。

Jリーグ初観戦の想い出 松本vs神戸

サッカー

Jリーグを初観戦した日の写真を振り返りながら、Jリーグを見に行くようになった事を書いて行きたい。

 

・初観戦の日

まさかあんな試合になるとは思わなかった。

 

試合はJ2。JリーグにはJ1、J2、J3とカテゴリーがあって、強さがJ1の方が強いのだけれど、その中でも松本山雅FCと言うチームを応援しに行く事にした。

 

松本山雅の存在は前々から実は知っていて、長野県のチームである事、サポーターが割と熱狂的である事、地域リーグから駆け上がって来た何か凄いチームな事、浦和レッズ相手に地域リーグ時代にジャイアントキリングぶちかました事、、、等々情報としては知っていた。

 

2009天皇杯サッカー2回戦 松本山雅vs浦和レッズ ダイジェスト - YouTube

*1

 

長野にはこれ以前から結構色々な理由があり足繁く通っていた事もあって、少し身近な存在ではあったかもしれない。

 

松本山雅のサッカーに惚れて、Jリーグを見に行く様になって、スタジアムに通う事になるのは後の話なのだけれど、ともかくこの時の自分はそこまでJリーグの試合を見に行く事は無かった。

グッズは何故かラモスのグッズと清水エスパルスのグッズを持っていたのだが、これも別に自分から買った訳では無くて、親が買ってくれた物だ。しかも親は別にエスパルスに興味がある訳では無い。

Jリーグカレー - YouTube
*2

 

ただ、代表のサッカーとかアーセナルには興味があったので、折角なら、と足を運んでみた。

そのきっかけがこの試合だったのだ。

 

・試合前のヴィッセルのイメージ

ヴィッセルはこの年J1から落ちて来て、J1に復帰しようとしていて、最終的には圧倒的な強さでJ1に復帰したのだが、この年の前回戦ったスコアだと、2-1で負けている。

だから中々良いゲームが出来るのではないか?と思っていた。

 

しかし過去をさかのぼってみると、松本と神戸は何か散々なゲームをしているらしい。

2008年の段階での松本山雅北信越リーグと言うリーグに所属していて、神戸はJ1だった。

サッカーのトーナメントの中に天皇杯と言うのがあるのだが、08年はそこで戦う事になった。J1vs地域リーグ

ただこの年の山雅はそんなに強くない。

地域リーグではライバルの長野パルセイロに優勝をやる、社会人サッカー選手権大会で敗退したことにより、JFL昇格は消滅していた。

なので、公式戦最終戦がこの天皇杯4回戦のヴィッセル戦となった。とは言ってもこの前の試合では湘南にPKで勝っている訳で、良い試合が出来るのではないか、と考えたサポーターも多かったらしい。

 

…ところが試合が終わってみると8-0で大敗。

と言う訳で未だに山雅サポの友人達は「神戸との戦いにあまり良い想い出がない」と言う。

そりゃそうだ。

 

Jリーグってそもそも…

Jリーグは1993年に発足したプロリーグで、最初こそチームは少なかったのだけれど、最近では数が増えて来て、それこそ結構な数になってて、かなり過酷なリーグ戦を毎年繰り広げている。

 

Jリーグを応援するきっかけになったのは山雅だったのだけれど、もう一つは鹿島アントラーズサポの兄貴分にサッカーに連れて行って貰ったのも良い想い出で、結果として鹿島か松本の試合を良く見に行く。他のサッカーの試合は国内ではほぼほぼ見に行かないと言っていい。

 

スポーツ観戦ってそれこそ友人に諭されるか親が好きとかそういったきっかけがないと中々観戦に行かない物なのかな、と思ったりもする。

 

・ゴール裏に圧倒される。

さて試合当日。Jリーグ初観戦と言う事で、お嫁さん(当時まだ付き合ってた)と一緒に二人でノエビアスタジアムへ。たまーに山雅サポの人が乗っているくらいで、電車の中は神戸のサポーターだらけだった。

f:id:shohei6194:20161210132951j:plain<結構歓迎ムードが凄いんだな、と感激したのを覚えている。>

ゴール裏の入り口はノエビアは良く分からん扉の先にあった。声がするなーと言う位で見ていたのだが、入ってみると…

 

…太鼓ばんばん叩いてるし旗ぶん回してるしガチな奴やん。「まーっつもとやまがー!」とか何か叫んどるし怖い!!!何か俺の居場所じゃない気がして来た…初観戦でここは駄目な気がしてきたぞ・・・!?

となったのだが、松本の応援団関係の人(?)が、初心者でも良いですから、どうぞどうぞ、と優しく言ってくれたのを懐かしく思い出す。

ゴール裏の上の端の方に陣取って、サッカーを見る事にした。

f:id:shohei6194:20161210133056j:plain<無事、ゴール裏へ>

・サポーターとの交流

「今日は勝ってビールをのみたいねえ」と話をしていると、話に参加してくれる人が沢山居てくれて嬉しかった。

隣にいたおじさんが大変に優しかった。

 

アウェイなのに大変ですね、と言うと「これだけが楽しみなんだよね~」と言う人もいる。

入ってみて気付いたのだが、中心部から少し離れたらそこは結構落ち着いている事に気付いた。

一杯やりながら見てる人も結構いる。

 

「サッカーは見た事あるんですか?」と言われたので「イギリスでは見た事があるんですけど、日本では初めてなんです」と言うと、おじさんは選手の名前とかを色々と教えてくれた。

グループで長野県から来ていると言う。

 

チャントは動画で予習していたのでしっかりと。

おじさんは「中央線ってのがあるからこれ使うと良いよ」とタオルを貸してくれたので、しっかり歌った。

「そのタオル、中々手に入らないから返してね(笑)」とも言われた。

 

今日は勝ちましょうね、と言い合って、キックオフを遂に迎える。

f:id:shohei6194:20161210133121j:plain<中央線>

f:id:shohei6194:20161210133144j:plain<さあ思いっきり戦うぞ〜!>

・前半

前半、松本は中々ペースを掴めず、11分、森岡にまず1点を入れられ、その後前半終了間際に神戸のポポに2点を入れられた。

 

アーセナルのサッカーを見ていた自分がJ2のサッカーを見た時に思ったのは、その速度の違いだ。

 

当たり前の事なのかもしれないが、MFにエジルが居る訳でもないので、上空に上がったボールをこうやって取るだろう、そしてこうやって攻めるだろうと言う予想がことごとく外れる。

しかし選手達が懸命にがむしゃらに立ち向かって行くサッカーだなあ、と見ていて思った。

 

こういうサッカーもこれはこれで面白いな、とこの時に改めて思えた。

 

リーグが違えばサッカーは違うが、それは表現方法の違いだったり技術の違いだったりする。

だけれど、応援する気持ちは変わらないよな、と。

 

確かに、10分と前半終了間際に点を取られたのは悲しかった。多分自分みたいなサポ初心者でも悔しかったのだから、通っている人からすればもっと悔しかっただろう。

 

・ハーフタイム

ハーフタイムになり、「後半頑張って点を取ろう」とか、そういった声が散見された。

おじさんも「後半頑張って取り返したいから応援頼むよ!」と言ってくれて「任しておいて下さい」と言ったのも覚えている。

 

ところで初めての観戦にノエビアスタジアムは正解だったかもしれない。

陸上競技場併設タイプのスタジアムのようなトラックも特に無いし、そういった意味では見易いスタジアムだった。

 

そして後半の笛がなる。2-0かそこそこで勝つだろうと思っていた。この時までは。

 

・大敗、そしてサポーター。

松本は攻撃的な姿勢を崩さなかった。結果として、それが仇になった。守備を貫いたらそれはそれで点が入らなかったのだろうが、ただ、サッカーはそう言うわけにはいかない。

サッカーのシステムとして、勝てば+3、引き分ければ+1、負けたら無しで、この勝ち点と言う物を持って年間の勝者を決めるシステムになっている。

 

58分からは相手側の点がもの凄い勢いで入った。

58分、河本ゴール。3-0。

62分、小川がゴール。4-0。

5分後、橋本がゴール。5-0。

 

この地点でも、見ていて分かるレベルで、松本は完全に攻撃出来ていなかったと思う。

 

杉浦がゴール。6-0。

試合終了近くになり、相馬がとどめのゴール。7-0。

 

流石に7-0の点になった時は、相手側サポーターは狂喜乱舞。

松本側のサポーターはうなだれている人が多かったのだけれど、すぐさまそれが応援に変わった。

 

・7-0

7-0になりながらも応援は続いたし、その応援が凄いなあ、と初めてながらに思った。

2013.10.20 ヴィッセル神戸 vs 松本山雅FC 0-7になっても絶えることのない松本山雅の応援 - YouTube

*3

 

冷静に考えて、7-0から勝つ事と言うのはほぼ0に等しい。

…0に等しいのだけれど。

今なら分かる。サポーターって多分最後の最後まで勝つ事を信じてる。

だからこそあんな応援が出来たんだなあ、と思った。

 

試合終了の笛が鳴り響いて、選手に「次はやり返してやろうぜ!」と言っている人が多かった。

ブーイングも、拍手も。鼓舞する方法としてはチームそれぞれなのだろうが、初めての試合がこの試合で良かったのかなあとは思っている。

 

最も、もう神戸に負けたくは無いけれど。

 

スタジアムを去る時におじさんがこういってくれた。

 

「もしサッカー観戦続けてたら何処かで逢えると良いね、良かったらアルウィンにも来てね」

 

あの優しいおじさんには未だに会えていない。だけれど、どこかで逢った時には大敗の話を笑い話にして、「あの時はありがとうございました、おかげさまでサッカーにどハマりしましたよ」と言って笑いながらまた一緒に応援したいと思う。

f:id:shohei6194:20161210133213j:plain<初めてのJリーグ、この試合で良かった。>

 

試合:松本山雅FC 0-7 ヴィッセル神戸

会場:ノエビアスタジアム神戸

観客数:9619人

*1:地域リーグ時代の松本山雅が2−0でJ1相手の浦和を破った。まさにジャイアントキリング

*2:ラモスと言えばカレー、カレーと言えばまさお

*3:この声の大きさは凄いと思う。筆者は左端にいます。

Blog開設。

今後Blogをやって行こうと思っているのだけれど、とりあえずだらだらと更新出来たら、と思っている。

誰に書くと言うのでもあまり無くて、どちらかというと自分に向けて書いて行ければ、と考えているのだけれど、、、それも場合によりけりで、その時その時に応じて書いて行ければと考えているのでよろしくどうぞ。


あまり更新出来ない時期もあれば頻繁に更新する時期もあるとは思うのだけれど(自分の性格上前者が多いかもしれない^^;)シンプルで使いやすいなーと思ったのがこのBlogだったので、のんびりだらーっとやっていければ、と考えてはいます。

自己紹介とかはまたその内。

久々、エミレーツスタジアムに行ってきた

Arsenal
  • Arsenalが好きになったきっかけ

アーセナルに出逢ったのがイギリスに留学した時だった。

たまたま留学してお世話になっていた家の家主がアーセナルサポ、(1件目はクリスタル・パレスのサポーターだったのだが)家主の友人がスパーズサポだったのだけれど(笑)、「行っておいで」と言われ、良かったら見に行ってみよう、と何も考えずに見に行ったのがアーセナルの試合だった。

 

当時の自分はアーセナルに対しての知識なんてあまりなかった。イギリスにあるサッカーチームだという認識だけだったし、サッカーもテレビでみるのがせいぜい良い所だったのだけれど、そんな自分がいきなりプレミアリーグを見に行く事になった。

サッカー初観戦がプレミアリーグとは中々だ。

 

ともあれそこから自分はアーセナルが好きになった。

 

  • イギリスへ

久々に訪れたイギリス。

自転車旅を始める前にイギリスで色々やりたい事や見たい物は見ようって事で、アーセナルの試合を見に行く事にした。

試合はArsenal v Manchester City。赤と青の対決なのだが、如何せん両者共に人気のあるチームだ。ダフ的なサイトで手に入れると大変にお金が掛かるので正規価格で購入する。

ここ数年自分はチケット争奪戦には恵まれているかもしれない。

 

飛行機の搭乗の関係で、Heathrow Airportの近くのホテルを取っていたのだが、ここのホテルがまた割となボロホテルで、評価がかなり低いホテルだった。Wi-Fiは通じない、値段に見合ってないと散々なホテルだったのだけれど、そこにイギリス独特のさむーい天気が重なり、体調を崩してしまった。

 

「それでも試合には行かなきゃな」と思い張り切って準備をする。

 

マフラー、よし!ユニフォーム、よし!チケット、よし!財布、よし!おれ、つよし!

 

といつもの確認をしてボロホテルを出た。

ボロホテルだろうが何だろうが、試合に勝てば、勝ちさえすれば元気で帰れる!!!次の日からも頑張れる。サッカーサポとはそう言う人種である。

 

「出る前に負ける事考えるバカいるかよ」

https://www.youtube.com/watch?v=OgopmA7PhiM

 

とはアントニオ猪木の言葉である。全くその通りだ。

 

電車に乗り込んでしばらくすると、赤い服を着た集団が来て、こちらを見てにやっと笑い、電車の中でトッテナムモウリーニョを批判するチャントを歌い出した。ちなみに俺の元家主はモウリーニョが大嫌いだそうだ(笑)

 

スタジアムが近いぞ。

アーセナルサポで満員になった電車を降り、アーセナル駅に到着した。

f:id:shohei6194:20161210114705j:plain<どうでもいいけど真ん中にうつってるこいつらは無関係です。お前ら誰や。>

 

あまり美味しく無い(察して下さい)ハンバーガーと紅茶を飲み、記念マフラー(おそらく非公式であろう)を買って、スタジアムの中へ。Red Army!の掛け声と一緒に通路を進んで行く。

f:id:shohei6194:20161210114755j:plain<ついに来たぜ、我が聖地!>

  • いざスタジアムの中へ

エミレーツスタジアムに到着すると、荷物検査があり・・・。

荷物をあまり持って来ていないのでするっと通れたのだけれど、カード式チケットに懐疑的で、一度キャンセルされてしまった。

係の人が「ごめん、案内する場所間違えてた!」と言ってくれて事無きを得たのだが、危うくパブで観戦になる所だったじゃ無いか…おーこわ。

と言う訳で無事入場。

f:id:shohei6194:20161210114051j:plain<VICTORIA CONCORDIA CRESCIT。勝利は調和から生まれるという素敵なクレストである。>

今回観戦場所に選んだのはNORTH BANK。素敵応援が繰り広げられる素敵な場所でもある。

f:id:shohei6194:20161210115024j:plain<NORTH BANK入り口。すてきやん。>

 

イギリスの応援は自然発生な応援なのだけれど、このゴール裏は中々に熱い場所。

試合開始までは月曜開催の試合で12月だってのにビールぐびぐび飲んでる人が居て、寒く無いのかなあ…って思ったり、グッズをちょっと見てみたり、隣の人とお話しして仲良くなったり。。。

f:id:shohei6194:20161210115110j:plain<どうぞ今日も1−0でこの歌が歌えます様に・・・>

f:id:shohei6194:20161210114046j:plain
<試合開始前。のんべんだらりとしている。クリスマスなので帽子を被っている人もちらほら。>

と言う訳で選手入場+コレオなどがあり(ARSENAL TOGETHER)試合開始。

盛り上がりは最高潮。なんせこれで首位が決まっちゃうような、そんな大事な試合だから、仕方は無いわな。

f:id:shohei6194:20161210115219j:plain<戦が始まる…!!!>

 

  • 試合開始

試合開始の笛がなると驚く程の歓声が上がる。

30分位は攻めたり攻められたりな展開で、周りの人は「早く決めろ!」とか叫んでいるのだけれど、そうそうサッカーって点を入れられるスポーツじゃない。とはいいつつ、自分も叫んでいたのだが。

 

そして33分。アーセナルのTheo Walcottがまずは先制、1点目をぶち込んだ。

相手の青いサポーター達はしーんと静まり返っている。こちらも一瞬何があったのか分からない静寂、そしてその後に思いっきり叫ぶサポーター。これだよこれ、これがサッカー観戦の醍醐味だよ!苦しい時とか拙攻に文句言いながらも、それでも耐えて耐えて耐え抜いて、チャンスを掴み取ってもぎ取った一点。そりゃあ喜ばない訳が無い。

しかもシティ相手に先制だよ!こりゃ…勝たせて貰うしか無い!

 

1点取ってからは皆で"To the Arsenal one-nil"を大合唱。

 

自分が大好きなエジルが目の前で物凄い早さで動いている。ジルーも凄い。攻めてるなあ。

DFの皆も頑張って守ってる。このまま攻めてもう一点が欲しい…!

 

f:id:shohei6194:20161210115623j:plain

コーナーキックするエジルさん>

さあ、試合も終わるかな、と思った45分+1…、何とジルーが決めてしまった!

 

  • ジルーが決めた!

NORTH BANKから向こうのゴールは中々見えづらいのだけれど、ただ、入ったのは分かった。向こうのサポーター(アーセナルの)がぶわーっと立ち上がり、狂喜乱舞するのが見えている。

まさか、まさか前半の最後の最後に入れるとは。こちらも狂喜乱舞で皆とワイワイ言って喜び合う。

隣の人と握手したり何だりして居るうちに、ハーフタイムに入った。紅茶を飲んで休憩して、いざ後半戦へ。

f:id:shohei6194:20161210115432j:plain<ジルーさんありがとうございます。ありがとうございます。>

  • 相手の攻撃に耐えて…

後半は相手がやはり2点も取られた焦りだろう。めちゃくちゃ攻めて来た。

3点目が遠いなあ。結構良い線行ってるんだけどなあ…

 

しかしこのまま行けば勝てるぞ!と思った82分、ヤヤ・トゥーレがどごーんとゴールをぶち込んだ。

エミレーツが静まり返り、相手サポの青いのがえらく盛り上がっている。

ぐぬぬ

 

こうなれば同点になるなー!なるなー!って雰囲気が出て来る。

 

そして、叫び倒して最後…2-1で勝利する事が出来た!

f:id:shohei6194:20161210115343j:plain<シティ相手に勝っちまったよ…!>

試合の終わり

2-1で勝てた。イギリスに来て好きなチームの勝ち試合を見れた。

これってかなり幸せな事だと思う。

試合は勝負事なので、勝ちたいと思って見ても勝つ事が出来かったりする訳で。

そう言う意味では試合を勝って見る事が出来た事、勝ちで終える事が出来て良かった!

 

更にゴール裏から帰ろうとすると、Arsenal FanTVの人に逢う事が出来て握手させてもらった。かなり良い人だった。個人的に大ファンだったので嬉しい。

勝ち試合の余韻を味わいながら、夜のエミレーツを後にした。

f:id:shohei6194:20161210115703j:plain<また来たいなあ…>

  • 終わりに

エミレーツスタジアムはイギリス在住でもなければイギリス国籍を持たない自分にとっては中々来れないスタジアムだ。

だけれど、サッカーを好きになるきっかけをくれたスタジアムだ。

そしてそこには自分が愛すべきアーセナルってクラブがある。

それだけで良い事じゃないか。

 

人生しんどくなったら、イギリスに来ようと思った。

しんどくなった時に行ける場所が幾つかあるのは大切な事だとも思った。

試合を見ればきっと元気も出る筈だし、若い時に勇気を振り絞ってイギリスに来てみた事も思い出すだろう。

そういう人生も良い物かもしれない。

 

試合情報

Arsenal 2-1 Manchester City

試合会場・時間:2015/12/21(月)20:00~ エミレーツスタジアム(イギリス)

得点:セオ・ウォルコット/オリヴィエ・ジルー/ヤヤ・トゥーレ

観客数:60053人